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徳島地方裁判所 昭和32年(行)4号 判決

原告 芝彦一

被告 国

補助参加人 太田食品株式会社 外三〇名

主文

被告が別紙目録記載の土地につき、昭和二五年一二月二日付で、なした農地買収処分は無効であることを確認する。

原告の売渡処分無効確認請求を却下する。

訴訟費用のうち、補助参加によつて生じた部分は、補助参加人らの、その余の部分は被告の各負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が別紙目録記載の土地(以下本件土地と略称する)につき、昭和二五年一二月二日付でなした農地買収並びに同売渡処分(以下、それぞれ、本件買収処分、本件売渡処分と略称する)は、いずれも無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

「一、被告は、原告所有の本件土地につき、自作農創設特別措置法(以下自創法という)の規定に基き、本件買収並びに売渡処分をした。

二、しかし、本件買収処分には、次のような重大かつ明白なかし(瑕疵)があるから、その効力がない。すなわち、

1  本件買収計画を議決した昭和二五年一〇月一八日の徳島市斉津地区農地委員会(以下地区委員会と略称する)の審議に、自ら本件土地の一部を耕作し、かつ、本件土地耕作人らの代表者であり、本件売渡処分によつて、右耕作部分の所有権を取得することになつていた松本源一、富永米太郎、吉田源吉が、委員として参加し、前記議決に加わつている。これは、明らかに、地区委員会の公平な審議機関としての機能を喪失させるものであり、かかる委員会の議決は無効である。したがつて、右議決(買収計画)に基く本件買収処分もまた無効である。

2  原告は、買収計画の縦覧期間内である同年一一月五日、地区委員会に対し、右買収計画につき異議の申立をした。しかるに(イ)地区委員会は、右異議の申立に対し、何ら審議裁決をしない。そのため、(ロ)原告は、徳島県農地委員会(以下県委員会と略称する)に対し、訴願を提起する機会を与えられず、また(ハ)地区委員会は以後の手続を進行できないのに、本件買収計画につき、県委員会の承認を受けている。かかる手続に基く本件買収処分は、無効である。もつとも、原告は、同年一二月一四日地区委員会から、「調停買収につき、異議申立は、審議しない。」旨の通知を受けたけれども、本件買収期日は、同年一二月二日であるから、右主張のとおり、本件買収処分に、前記異議申立に対する決定をせず、かつ、その通知前になされた処分であることに変りはない。

3  本件買収計画は、自創法七条一項ないし五項所定の、買収期日までの期間六〇日を置いていないから、無効であり、かかる買収計画に基く本件買収処分も無効である。

4  自創法による農地買収処分は、令書の交付によつて、なされるものであるのに、本件買収処分につき、原告は買収令書の交付を受けていない。したがつて、本件買収処分は無効である。

5  自創法および農地調整法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令(以下譲渡政令という。)三条一項によれば、国が、買収期日までに、対価を支払い、または供託しないときは、その買収令書は効力を失う旨規定している。しかるに、被告は、原告に対し、本件買収の対価を支払わず、供託もしていないから、本件買収処分は効力を失つている。

6  本件土地の全部または一部は、次のとおり、小作地でないから、自創法による買収の対象にならない。すなわち、(イ)原告は、昭和一五年三月徳島市から戦時下有閑地利用、食糧増産のため、本件土地を含む一町七反を、耕作用地に提供してほしい旨の申入れを受けたので、時局下、やむなく右一町七反を、小作権など発生しないようにするとの条件で、徳島市農業会に貸与し、同農業会は、それを、下部の農事実行組合員で、原告の承認した富永米太郎ほか二一名をして、同農業会に代り耕作させていたものであるから、右耕作人らは小作農ではなく、右耕作地は小作地ではない。また、(ロ)原告は、昭和二二年一〇月市農業会と合意の上、前記貸借関係を解消し市農業会は同時に、右趣旨に従い、前記耕作人らに耕作地を原告に返還するよう求めた。かりに、右合意解除が認められないとしても市農業会は、昭和二三年八月一五日解散したから、原告と市農業会との前記貸借関係が、右解散と同時に消滅している。そうして、原告は、当初から、前記耕作人らに、土地を貸与したことがないのであるから、いずれにしても、前記一町七反は小作地ではない。(ハ)かりに、小作地であつたとしても、前記二二名以外の者で、本件買収当時、右土地を耕作していた一五名の耕作する部分および右一町七反以上の部分は、小作地ではない。そうだとすると、本件土地の全部または一部を小作地であるとしてなした本件買収処分は無効である。被告は、前記貸借関係が、清算法人に引継がれていると主張するが、耕作は、もともと、清算の目的外の行為であるから、その点では、市農業会はすでに法人格を失い、したがつて、右貸借関係を引継ぐことができない。

7  本件買収処分は、次のとおり、買収土地の特定を欠くから、無効である。すなわち、(イ)地区委員会の議決(買収計画)では、単に「道路の南側を東西に折半し、西側松林を農地と認めず、附近農地は返還して芝氏の自作、東側を現耕作者に解放」とあるのみで、地番面積の表示もなく図面による特定もない。(ロ)右買収計画縦覧書および令書に記載された買収土地の表示は、別紙目録記載のとおり単に一四筆の土地を列記し、うち、実測九反五畝二〇歩というだけで、右一四筆のうちのどの部分が買収の対象になつているのか、全く不明である。しかも、原告の測量によると、被告が買収したという土地の実測面積は、右実測面積より、一〇〇余坪広くなつている。(ハ)被告が買収したという土地のうちには、同町五丁目八の二原野二反九畝一五歩、八の三同一畝二一歩が含まれているのに、右土地については、計画、縦覧書、令書になんら表示されておらず、また、(ニ)被告が買収したという土地内には、古くからある農道が通つているのであるから、右農道を特定して、除外したうえ、附帯施設として買収するなどの手続をとらない限り、買収土地が特定されないのに、本件買収処分では、右手続がとられていない。

8  被告は、本件一四筆の土地を含む原告所有の一町八反二六歩につき、買収期日を昭和二四年一〇月二日と定めて、買収処分をし、原告に、その令書を交付している。したがつて、本件買収処分当時原告は、本件土地の所有者でなかつたのである。かりに、右処分が取消されたとするならば、本件土地は、譲渡政令一条二項の、強制譲渡の可能性のある土地であつて、自創法による強制買収の対象となる土地でない。そうだとすると、本件買収処分は、原告の所有でない土地を、原告の所有として買収したものであり、または、強制買収できない土地を強制買収したものであるから、無効である。

9  本件土地は、都市計画による都市計画法一六条一項の施設に必要な土地の境域内にあり、徳島県知事の指定した区域内の土地であり、自創法五条四号により、買収の対象となりえない土地であるから、本件買収処分は、無効である。

10  本件土地は、次のとおり、近く土地使用目的を変更するのを相当とする土地である。すなわち、本件土地は、徳島県庁の東四〇〇メートル余に位置し、昭和初年、徳島港南岸港湾施設の背後地を形成するため、徳島市の勧誘に応じた原告方により、多大の経費を要して埋立てられた土地の一部で、その後右埋立地を貫き、本件土地の北に沿つて、東西に通じる富田浜側線道路が完成するや、市街地として好適の土地となつたが、戦時下やむなく前記のとおり市農業会に貸与され、一時耕作地として利用されていた。しかし、終戦後再び前記埋立地本来の立地条件が着目され、昭和二二年ごろから、本件買収処分までの間、原告は、徳島市から市営住宅地または富田中学校の敷地として、県から県官舎または警察学校の敷地として、日本たばこ専売公社から徳島地方局の用地として、本件土地を含む前記埋立地をそれぞれ譲渡してほしい旨の申入れを受け、その他、個人からもしばしば宅地として譲渡方を申入れられた。本件土地は右述のような事情の下にあつたため、本件売渡処分によつて、耕作人らに売渡されるや、昭和二八年ごろから前記松本源一らのあつ旋で、建設省やその他私企業の用地に売却され、殆んど宅地と化してしまつた。右事実からみても、本件土地は、明らかに近く土地使用目的を変更するのを相当とする土地であり、その指定がなされねばならないのに、右指定がなされず、買収処分を受けたものであるから、本件買収処分は無効である。

11  本件土地は、単に面積のみをもつて表示されており、また、別紙目録記載の同町五丁目八番原野三反三畝一一歩は、土地台帳上存在しないものであつて、本件土地を土地台帳に登録し、登記簿に登記することは、本件買収令書のみでは不能であり、また登記手続には、令書受領証を必要とするが、原告は、令書を受領していないこと、前記のとおりである。しかるに、被告は、本件買収後、原告の同意を得ることなく、ほしいままに本件土地および買収と関係のない地番の分筆合筆の手続をとつた上、登録登記手続をし、同町六丁目一番原野二反一畝六歩については、地積地目の誤りを訂正すると称して、同畑二反七畝一四歩として土地台帳に登録し、登記をしその結果、土地の境界、ひいては丁境をほしいままに移動させている。右は、係官の職権濫用であり、原告の所有権を侵害するものであり本件買収処分を無効ならしめるものである。

三、本件売渡処分には、次のような重大かつ明白なかしがあるから、その効力がない。すなわち、

1  本件買収処分は二、に記載したとおりのかしがあり、無効であるから、右買収処分により、国が所有権を取得したことを前提とする本件売渡処分も、無効である。

2  昭和二五年一〇月一八日地区委員会のなした本件売渡計画は前記二の1と同一の理由により無効である。

3  本件売渡計画には、売渡すべき農地の所在地番面積、売渡の相手方、売渡時期および対価が決められておらず、ただ二の7に記載の決議のほか、「売渡しは、現在の耕作反別により、分割、売渡位置の選定は、全耕作者協議の上決定する。」旨の議決をしたのみであるから、右計画は無効であり、その計画に基く本件売渡処分も無効である。

4  本件土地が特定されていないこと、二の7に記載のとおりであり、したがつて、耕作人らの買受申入書提出は不可能である。

5  本件土地は、小作地ではなく、本件売渡処分の相手方である北島正ほか三六名は、本件土地につき、何らの耕作権も有しない。かかる者に対する売渡処分は、その効力を有しない。

6  地区委員会は、本件売渡計画につき、県委員会の承認を受けていない。かかる承認を受けていない売渡計画に基く本件売渡処分は無効である。

7  本件売渡処分に伴う土地台帳への登録および登記は、二の11に記載のとおり、かしある登録登記を前提としたものであるから、無効のものであり、この無効は、本件売渡処分を無効ならしめるものである。

四、よつて、原告は、被告に対し、本件買収処分および本件売渡処分の各無効確認を求める。」と述べ、被告の主張に対し、

「1 被告は、原告の売渡処分無効確認の訴は、確認の利益がないから不適法であると主張する。しかし、買収処分無効確認判決だけでは、買収処分に基く登記および土地台帳の登録の抹消手続ができるが、売渡処分に基く登記登録の抹消手続はできない。したがつて、この点においても、売渡処分の無効確認を求める利益がある。また、買収処分と売渡処分とは、一連の行政処分であるから、前処分から後処分に至る間に無効原因があれば、当然両処分とも無効であり、したがつて、買収処分の有効な場合でも、売渡処分の無効確認を求めることは、他人間の訴となるものではないし、確認の利益がないということができない。

2 被告は、昭和二五年一〇月一八日の地区委員会において、原告と、耕作人らとの間で話合いができたと主張する。しかし、それは次のような事情によるものであつて、話合いができたのではない。すなわち、原告は、同日午後六時ごろ、前記松本源一の来訪を受け、同人から、同日の委員会に出席してほしい旨要請され、断りきれず同委員会に出席し、前記耕作地を、さきに、原告と耕作人らとの間でできた話合いとおり、道路に平行して折半し、その南側を買収するよう主張した。しかるに、同委員会は、県官舎敷地にするための本件土地の買収交渉が不調になつてから、原告に対し偏見を持つていた県農地課の意向に従い、あえて道路に直角線を引いて折半し、その東側を買収するという案を出し、原告の同意を求めたが、原告はこれに反対したところ、一部委員から全面買収案が提出され、委員会は、それを全員賛成して議決するという威嚇的態度をとつたため、原告は自己の主張を貫ぬき得ずやむなく同委員会の強行案に屈したに過ぎないのである。なお、原告は、被告主張のように、現地の実測や界標設置に立会を求められたことはない。」と述べた。

被告指定代理人らは、主文第二項同旨および「原告その余の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案前の答弁として、

「本件買収処分が有効であれば、原告は、本件土地につき、もはや、所有権その他の権利を有しないから、本件売渡処分の無効確認を求める利益がない。かりに本件買収処分が無効であれば、買収処分を前提とする本件売渡処分も当然無効であり、重ねて、その無効確認を求める利益がない。よつて売渡処分の無効確認を求める原告の本訴は、不適法であるから、却下されるべきである。」と述べ、

本案の答弁として、

「原告主張事実中、一の事実、二の1のうち、地区委員会が、昭和二五年一〇月一八日本件買収計画を審議し、同委員会に、原告主張の委員三名が出席していたこと、2のうち、原告が縦覧期間内である同年一一月五日地区委員会に対し、異議の申立をしたこと、地区委員会が本件買収計画につき、県委員会の承認を受けていること、5のうち、国が対価を供託していないこと、6のうち、原告がその主張のころ、本件土地を含む原告所有の一町七反を市農業会に貸与し、市農業会は富永米太郎らにそれを耕作させていたこと、市農業会が昭和二三年八月一五日解散したこと、7のうち、地区委員会が原告主張のとおり議決したこと、縦覧書および買収令書に記載された買収土地の表示は原告主張のとおりであること、10のうち、本件土地が原告主張のとおりの位置にあり、原告方で埋立てた土地の一部であること、本件売渡処分後、一部が売却され宅地となつたこと、11のうち、被告は本件買収処分後、本件土地につき分筆または合筆手続をした上、それぞれ所有権取得の登録および登記手続をし、原告主張のとおり地積地目を訂正したこと、三の2のうち、地区委員会は、昭和二五年一〇月一八日本件売渡計画を審議したこと、3のうち、地区委員会は、本件買収計画のほかに、原告主張のような内容の売渡計画の議決をしたこと、7のうち、本件売渡処分にともなう所有権移転の登録および登記をしたことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。」と述べ、主張として、

「1 本件買収処分は、原告と耕作者らの次のような合意を確認して、なされたものである。すなわち、昭和二五年一〇月一八日地区委員会開催前すでに県農地課長笠井文一らの調査とあつ旋の結果原告が、全耕作地の二分の一を耕作者に解放し、耕作者らがその余を原告に返還するという合意が成立していたので、右地区委員会では、原告の出席を求め、買収地域につき、協議した。その際、原告は道路に沿つた部分を返還してほしい旨を、耕作者らは東西に折半してほしい旨を各主張したが、結局、「万代町五丁目六丁目にまたがる原告所有の後記6記載の耕作地につき道路の南側を折半してその東側松林のない部分を買収する。買収地と非買収地との境界は松林の尽きるところを南北に貫くものとし、界標を設置する、その際は原告も立会する、その余の耕作地は原告に返還する。」ということで話合いがついたので、原告は、委員らに謝意を表して退去した。その後、委員会は右話合いに従い、現地を実測し界標杭を設置したが、原告はそれに立会しなかつた。しかし、原告は、右測量や界標杭の設置に対し何ら異議をいわず、話合いに従い、買収地以外の部分の返還を受け、自らそれを耕作している。

2 利害関係委員三名は、委員会に出席していたが、委員会は、三名の発言を制限し、かつ、議決の際には三名を除外している。

3 原告から、前記異議申立書が提出されたので、地区委員会は、前記のような、本件買収に至つた事情に照らし、審議しないのを相当と認め、原告のほん(翻)意を促し、異議をとり上げないことにしたが、原告は、右措置に対し何ら不服を申立てず、令書交付後も同様であつたから、右異議申立は取下げられたとみるべきである。かりに、そうでないとしても、地区委員会は、右異議申立を審議しない旨の裁決をし、同裁決書を、昭和二五年一二月一四日原告に送付しているから、右送付によつて、異議申立却下の裁決があつたとみるべきである。

4 被告は、昭和二五年一二月下旬、本件買収令書を原告に交付し、原告からその受領印および対価受取委任状を得ている。

5 被告は、本件買収の対価を、原告のため、徳島県信用農業協同組合に保管させ、原告に対し再々その受領方を申入れたが、原告はそれを受領しない。

6 市農業会は、本件土地を含む同町五、六丁目所在の原告所有埋立地二町三反五畝を、附近で農耕に従事していた松本仲次ほか二六名に耕作させることの了解を得て、原告から賃借し、以来右二七名は、その耕作に従事してきた。その後、耕作人が徐々に増し、本件買収処分当時には、三七名になつていたが、右耕作地が原告方居宅の東側に隣接しているため、原告は、朝夕耕作人らの耕作状態を耳目にとめており、したがつて、耕作人が三七名になつていることも了承していたものである。市農業会が、前記のとおり解散したけれども、右賃借権は、清算法人としての同会に承継されており、また、当事者間で、右賃借権を消滅させる手続がとられないまま本件買収に至つたものであるから、本件土地は、自創法にいう小作地である。

7 本件土地は事実上特定されている。すなわち、地区委員会は前記委員会での話合いとおり、界標杭を設置したが、それによつて、本件土地は、南側は小道に、北側は道路によつて区画され、東隅には堤防があり、西側は松林であるため、隣接地と明確に区別されており、買収機関、原告および耕作者らも、その範囲を十分知つていたものである。したがつて、かりに、買収計画の表示と、縦覧書、買収令書の各表示とが異なつており、また、本件土地の表示方法に不明確な点があるとしても、右述のような事情にある本件においては、いまだ本件買収処分を無効ならしめるものではない。なお、同町五丁目八番の二、三については、令書の記載が正確でないとしても、分筆以前の単番(八番)で表示されており、かつ前記のとおり実質的に特定されているのであるから、表示上においても、本件買収地に含まれているものと考えられる。

8 地区委員会が樹立した昭和二四年一〇月二日を買収期日とする買収計画は、手続上の過誤により、無効となつたので、改めて、本件買収計画が樹立されることになつた。なお、本件買収処分当時譲渡政令が施行されていたが、本件土地は、同政令一条二項所定の農地ではなく、当初から、自創法三条一項二号所定の小作地で買収もれになつていたものである。

9 本件買収処分当時、本件土地附近には、原告方居宅等が点在する程度であり、本件土地は、三方を田畑と原野に囲まれているような状況であつたから、近く土地使用目的の変更を相当とするものではなかつた。本件売渡処分後の転売もその後の事情の変更によるもので、買収当時予想されていたものではない。

10 本件買収処分に伴なつて行われた土地台帳登録手続、登記手続は、前記のように、原告の了承を得ている本件買収処分に適合しその結果とおりを実現するために行われたもので、かりに、一部不適当な個所があるとしても、それによつて、原告の権利を侵害するものではない。」と述べた。

被告補助参加人ら訴訟代理人は、参加の趣旨として、「参加人らは、原被告間の本件訴訟に、被告国を補助するため参加する。」と述べ、参加の理由として、

「参加人らは、現在、それぞれ本件土地の一部の所有者であるが本件訴訟において、本件買収処分が無効であることが確認されると参加人らは、それぞれ右権利を失うことになり、本訴の結果につき重大な利害関係を有する。よつて被告国を補助するため、本件訴訟に参加する。」と述べた。

(証拠省略)

理由

一、買収処分無効確認請求について。

被告は、原告所有の本件土地につき、自創法の規定に基き、本件買収処分をしたことは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一号証の一のイロハホ、第一号証の二、四、五、一〇、一一、一二、第二号証の一、第二号証の三の一(乙第九号証)ないし三、第二号証の五の一(乙第一号証)、第二号証の六、第八号証、証人竹本恒一、同中津勉(各第一、二回)、同松本源一、同富永米太郎、同海原昇の各証言、検証(第一、二回)の結果並びに原告本人尋問の結果(ただし、前記各証言および原告本人尋問の結果中、後記信用しない部分を除く。)を総合すると、本件土地は徳島県庁の東、ほぼ四〇〇メートルの所にあり、昭和初年原告方において埋立てられた土地の一部であつて、昭和一四年ごろ、県庁の北沿から右埋立地内を通過して東方に通じた富田浜側線道路(現在舗装道路)の南側に沿つていること、原告は、昭和一五年ごろ、徳島市農業会の求めに応じ、戦時下有閑地利用、食糧増産のため、当時、一部幼松が植えられていただけで、大部分あし原のまま放置されていた前記埋立地のうち、本件土地を含む二町二反四畝余(以下本件耕作地と略称する)を、同農業会に賃貸し、同農業会は、それを附近で農業に従事する富永米太郎ら二七名に、賃貸して耕作させたこと、敗戦後、自創法の規定に基く農地解放が実施されるようになつたが、本件耕作地は、前記のような立地条件下にあつたため、都市計画による市街地域に指定され、農地買収の対象から除外されていたところ、たまたま、昭和二四年ごろ、市農地委員会が、六地区委員会に分割されて以来、できるだけ多くの農地を解放しようという運動が起り、そのころ、右指定も取消されたので、本件耕作地も解放農地の対象とされるに至つたこと、昭和二四年六月ごろ、本件耕作地の一部につき、買収計画が立てられ、原告はそれに対し異議を申立て、訴願をしたけれども、いれられず、さらに、行政訴訟を提起して争つているうち、一町八反二六歩につき、同年一〇月二日を買収期日とする買収処分がなされたが、昭和二五年六月三〇日行政庁の方で手続上のかしを理由に、右計画を取消したこと、他方原告は、昭和二三年八月一五日市農業会が解散する前後から、本件耕作地の返還を求めていたところ、昭和二五年九月八日、当時の耕作者二八名と、(1)耕作者らが、本件耕作地のうち、道路の北側全部(ほぼ三反)と、道路の南側を、道路に平行な線で二分し、そのうち道路に沿つた部分とを原告に返還し、(2)原告は、右返還を受ける部分以外の耕作地が、耕作者らに解放されるよう協力し、右返還を受けたとき、耕作者らに三万円を支払うという合意をしたこと、ところが、地区委員会は、昭和二五年一〇月一八日本件買収計画を審議するに際し、原告の出席を求め、原告に対し、本件耕作地のうち、道路の南側松林を除く部分を、道路に直角な線で二分し、その東の部分を解放するよう勧告し、原告が、前記合意(2)のとおり解放する旨主張して右勧告を拒否するや、休憩して原告を説得し、なお、応じないとみるや、一部委員の提案した全面買収案を全会一致で議決するような意向を示し原告に圧力をかけ強引に原告を屈服させたが、原告は真実右勧告に同意したものでなかつたこと、しかるに、地区委員会は、原告のその場の態度をもつて、原告の同意があつたものとして買収地の範囲地番面積など不明確のまま、単に、「道路の北側三反は、無条件に原告に返還する、南側を東西に折半し、西側を、松林は農地と認めず、附近農地は返還して原告の自作、東側を現耕作者(当時三七名になつていた)に解放する。」との議決を、全員賛成して、しただけで、以後、原告の立会をうけずに、前記道路の南側を実測し、買収地、非買収地の境界を設定して本件買収手続を進行させ、同年一一月五日原告から、右買収計画に対し、適法な異議の申立があつたにもかかわらず、一時正式に受理せず、ようやく、同年一二月一四日、原告に対し、調停買収につき審議しない旨の文書を送付したこと、なお、本件土地が、本件売渡処分によつて、それぞれ、耕作者らに売渡されたが、その三分の二余りは、昭和二九年ごろから同三〇年ごろまでの間、前記松本らのあつ施で、建設省、太田食品株式会社などに転売され、宅地化されていることが認められる。前記各証言および原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、たやすく信用できず、他にそれを左右する証拠がない。

以上は、本件買収処分についての経過の概要である。

そこで、まず、原告主張の無効原因1、について判断する。

地区委員会が前記昭和二五年一〇月一八日本件買収計画を審議決定した際同委員会にそれぞれ本件土地の一部を耕作している委員松本源一、同吉田源吉、同富永米太郎らが出席していたことは当事者間に争いのないところである。

ところで、旧農地調整法第一五条の二四には「委員は自己並びに同居の親族及びその配偶者に関する事件に付議事に参与することを得ず」と規定されている。同条の法意はいうまでもなく合議機関である農地委員会の公正を担保するにある。しかるに前記の各証拠(後記措信しない部分を除く)に徴すると、右地区委員会の審議は議長を除き八名の委員が出席し本件土地の耕作者四―五名の傍聴のもとに行われ、右委員のうち前記松本ら三名は、それぞれ本件耕作地の一部を耕作し、本件買収処分後、その売渡しを受けることが十分予想されていたのにかゝわらず、終始右審議に参加し、松本は耕作者代表として、富永は耕作者として各発言し、また三名とも議決の際に除外されず、議決に参加したことは明らかである。前記証拠中右認定に反する部分は措信しない。かくの如く、議長を除く八名の委員中、三名の利害関係のある委員が、終始前認定のような議案採択の動機及びその内容につき、複雑にして微妙な事情のあつた本件委員会の審議に参加し、議決に際しても特に除外されることなくこれに参加しているのであるから、本件買収計画を審議した地区委員会は、その構成と審議において公正なものであつたとはとうていいうことはできない。したがつて、かゝる欠格者が参加し、公正に反してなした違法な委員会の前記議決は、かしある議決であり、しかも、そのかしはきわめて重大かつ明白なものと解するを相当とするから、無効であるといわねばならない。そうだとすると、無効な議決にもとずいてなされた本件買収処分は、右かしを帯びた無効の処分である。

二、売渡処分の無効確認請求について。

被告が、本件土地につき、本件売渡処分をしたことは、当事者間に争いがない。

原告は、右売渡処分の無効確認を求める。しかし、本件買収処分の無効が確認された以上、特に、自己が売渡しを受けるべき地位にある等の事情がない限り、原告の、被告に対する関係での権利または法律的地位に現存した不安が除去されたものと解すべきであり、したがつて、右買収処分の無効確認のほかに、本件売渡処分の無効確認を求める必要、ないし利益がないものと解するを相当とするから、前記売渡処分の無効確認を求める本請求は不適法なものである。

三、結論

よつて、原告の本訴請求のうち、本件買収処分の無効確認を求める部分は、その余の点の判断をまつまでもなく、理由があるから正当として認容し、本件売渡処分の無効確認を求める部分は不適法であるから、却下することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条ないし九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 依田六郎 丸山武夫 藤原達雄)

(別紙省略)

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